断捨離6回目はゲーム
7回目は写真と本。
図鑑と辞書類の本はネット時代では価値は激減なので捨てる。
ここまで来て、やっと本の類のゴールを見えてきた。
写真類のは95%をすてる必要がある。
人の写りが悪い、もはや誰のがわからない、
シチュエーションは記念性がない、などなどは捨てた。
それでも40年分の写真の量が多すぎてまだまだ淘汰しきれない。
......俺は20代までまあまあイケメンだったな、写真を見ると。
今の家に30年以上も住んだため
引越しの断捨離は膨大な量の思い出を捨てないといけない。
そして今まで持っている本と資料、漫画、ゲーム、写真は
9割以上『これ以降はもう2度と読めなくなる』
という切ない気持ちが現れる。
しかしよく考えれば、その「可能性の喪失」は特に支障がない。
大体のものは失ってもせいぜい
「使えるかもしれない低確率の選択肢うちの1つ」にすぎない。
そんなものはあったら越したことがない。
でも無くてもほとんど平気。
本当に無くしていけない大事なことは、そんなに多くない。
俺たち普段の生活に
ああこれ撮っとこう、という記念になる写真でも
ほとんど枚数は1回2回くらいしか見なかった。
よく考えれば、30年前にとても大事な思い出
今となって遠いの景色になった。
時間に流れによって小さくなっていく。
人生もそんなもんだよね。
あと30年だったら、死ぬ前に全ては手離す。
どんな大事なことがあっても。
結局どんなものでも、
捨てるまで....捨てれるまで、自分が納得するまで
精一杯に生きることにすぎないかもしれない。
捨てるのは、さよならを言う。
今までたくさんやってくれた記念物よ。
これからは、持ち物がどんどん減っていく年になっていく。
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