自分なりの楽しめ方1
知り合いから『腐女子のつづ井さん』を勧められて読んだ。
意外なところに色々考えさせた。
変人かもしれない行動は1つ1つ。
「恋愛ソングを脳内で勝手に推しCPのものとして変換する」とか「好きなシーンや人に見せたいシーン
があったらそのページに付箋を貼る」とか「友達に話しているオススメアニメの内容が公式だったか自
分の妄想だったかpixivで見た奴だったか思い出せない」とか。まずオタクあるあるとして秀逸で面白い。他にも「ハンガーに推しキャラを書いた厚紙を貼ってそれを膝に挟んで腹筋すると推しキャラに補助してもらってるように感じる」「公式の身長設定から測定した高さの壁面にマスキングテープを貼って、実際にそのキャラが目の前にいたら自分はこれだけ見上げていことになるというのを実感する」とか、後半になるとどんどん「細かすぎて伝わらないオタクあるある選手権」の様相を呈していく。
そう、腐女子でも自分の仕事と生活がある。
それでも自分なりの楽しめ方がある。
変かもしれないけど、バランスを取って
仲間を見つけてプライベートで自分の趣味を楽しめる。
楽しいなという気持ちはよく伝えた。
この前に書いた話はこの点にある意味説明できるかもしれない。
多分オタクはオタクの楽しめ方がある。
でも、自分なりの楽しめ方があるから
現実にも想像の世界にも『居場所』がキープしている。
それならいいじゃないかな、それぞれの自由と思う。
でも作り手は個人的に違うと思う。
一番わかりやすいのはガチャ課金の要素。
人間の弱さに突き込んでそれを利用するのは娯楽の範囲を超えてる。
まあ博奕は基本的にそうかもしれないけど
合法的なカジノがあるから一概にいえないけど
『相応な場所に相応な娯楽を提供する』
ということも考える必要と思う。
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