3日目、今の所が24ページ。
ちょっと用事が出てきて通常のペースで進めない。
そして.....うわあ、ペン入れでさえ結構難しい回だった。
機甲兵がメインに回るページになると
2倍くらい時間かかるから、盤古が出る度に苦労する。
そりゃゲームと違って普通の漫画、ラスボスは普通が変身しない訳だ。
モンスター化になると描き込む時間はかかる。
そう思うと遊戯王は凄いな。
確かにモンスターキャラまで作者が自分で描いてたはず。
しかも魔王クラスのモンスターになると1匹1匹の作画は面倒。
ああ、しかしここまで来るとアシスタントもう一人が欲しい。
今回の原稿はここから3日でトーン以外の効果を仕上げる
考えるだけで気が遠くなる.....
2013/08/15
カラー漫画の話
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-8b33.html
マンガの色についてふたたび
時々気になるんだ。
テレビも映画もゲームも絵本もカラーになっていくのに
漫画だけ白黒のまま。
読者どちらで言えばもカラーを見たいのに、
決して成本高いだからカラーをしない訳がない
なのに漫画だけ白黒のまま21世紀に続けてきた。
俺はこれが偶然と思わない。
フルカラーの方が優れるならアメリカ漫画はとっくに日本漫画を勝てた。
しかし現実はそうなれなかった。
ゲームは21世紀になると3Dは当たり前、綺麗なエフェクトは当たり前
しかしテレビゲームの市場は弱くなっていく。
ある意味、いくら綺麗に作られてもゲーム性と直結しなければ
その綺麗さは逆に何時か欠点になる。
漫画の事は恐らく同じと思う。
漫画というジャンルに通じて表現したいのは何ですか?
普通に答えれば、キャラクターでしょう。
もっと手塚時代の話ならストーリー、あるいはキャラの感情描写も重要
あるいは今の漫画の面白さ7割がネームという説もある。
そう、どれ要素も、カラーと、殆ど関係ない。
カラーを付けて面白くなる漫画は、ほぼ聞いた事が無い。
それは一番簡単な理由と思う。
漫画にとって絵が一番重要、色は作品の大切な表現要素、
じゃない限りカラーの重要度はそれほど上がらない。
絵が売りのBDでさえ、白黒作品も一定の割合が存在しているんだ。
漫画はカラーがあれば綺麗になるが、面白くなる訳が無いから。
だったら自然に居ない。ある意味は無意識に正解かも。
今のゲームは”綺麗さ”の罠に嵌ったから衰退した。
逆に”色が付けると面白くなる”のエロ漫画はカラー。
それは合理的と思う。
そして児童が色が好きだからカラーが必要。
それは日本は60年前に貧乏の時期でも、
児童漫画は出来るカラーを付けていた理由であった。
児童に色が必要。エロにも必要。それは本能だから。
しかし少年になると、
おそらく漫画の場合は色が無いの方がいいになる。
漫画を通じて読むのは、本能じゃないから。
どちらで言えば文化性なのだ。
元々例え黎明期の児童漫画でも
カラーの意味はあくまでも”色”だけ、”綺麗”じゃないさ。
雑誌を見れば分かる。役目はあくまでも”目を引く”だけ。
ゲームもさ、黎明期のファミコン基本的に
背景が黒、必要な所だけ色を付ける。
それは無意識にゲームの根本が当たっていたと思う。
要らない時は過剰の情報を決して与えない。
いくら俺たちの資源が豊かになってもこれは変わらないはず。
いや、むしろ豊かになったからこそ、
これを気をつけないと簡単に罠に落ちる。
それは思ったより大切な事かもしれない。
マンガの色についてふたたび
時々気になるんだ。
テレビも映画もゲームも絵本もカラーになっていくのに
漫画だけ白黒のまま。
読者どちらで言えばもカラーを見たいのに、
決して成本高いだからカラーをしない訳がない
なのに漫画だけ白黒のまま21世紀に続けてきた。
俺はこれが偶然と思わない。
フルカラーの方が優れるならアメリカ漫画はとっくに日本漫画を勝てた。
しかし現実はそうなれなかった。
ゲームは21世紀になると3Dは当たり前、綺麗なエフェクトは当たり前
しかしテレビゲームの市場は弱くなっていく。
ある意味、いくら綺麗に作られてもゲーム性と直結しなければ
その綺麗さは逆に何時か欠点になる。
漫画の事は恐らく同じと思う。
漫画というジャンルに通じて表現したいのは何ですか?
普通に答えれば、キャラクターでしょう。
もっと手塚時代の話ならストーリー、あるいはキャラの感情描写も重要
あるいは今の漫画の面白さ7割がネームという説もある。
そう、どれ要素も、カラーと、殆ど関係ない。
カラーを付けて面白くなる漫画は、ほぼ聞いた事が無い。
それは一番簡単な理由と思う。
漫画にとって絵が一番重要、色は作品の大切な表現要素、
じゃない限りカラーの重要度はそれほど上がらない。
絵が売りのBDでさえ、白黒作品も一定の割合が存在しているんだ。
漫画はカラーがあれば綺麗になるが、面白くなる訳が無いから。
だったら自然に居ない。ある意味は無意識に正解かも。
今のゲームは”綺麗さ”の罠に嵌ったから衰退した。
逆に”色が付けると面白くなる”のエロ漫画はカラー。
それは合理的と思う。
そして児童が色が好きだからカラーが必要。
それは日本は60年前に貧乏の時期でも、
児童漫画は出来るカラーを付けていた理由であった。
児童に色が必要。エロにも必要。それは本能だから。
しかし少年になると、
おそらく漫画の場合は色が無いの方がいいになる。
漫画を通じて読むのは、本能じゃないから。
どちらで言えば文化性なのだ。
元々例え黎明期の児童漫画でも
カラーの意味はあくまでも”色”だけ、”綺麗”じゃないさ。
雑誌を見れば分かる。役目はあくまでも”目を引く”だけ。
ゲームもさ、黎明期のファミコン基本的に
背景が黒、必要な所だけ色を付ける。
それは無意識にゲームの根本が当たっていたと思う。
要らない時は過剰の情報を決して与えない。
いくら俺たちの資源が豊かになってもこれは変わらないはず。
いや、むしろ豊かになったからこそ、
これを気をつけないと簡単に罠に落ちる。
それは思ったより大切な事かもしれない。
2013/08/12
2013/08/10
2013/08/09
天地を喰らうⅠ・Ⅱ戦闘BGM
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8773619?ver=q9
天地を喰らうⅠ・Ⅱ戦闘BGMメドレー オケ版 アレンジ少
このゲームの音楽は面白い
中華ぽいだが、実際の中国にはそれぽい音楽はなさそう。
実際、伝統の中国音楽には
こういう凛々しいバトル音楽は聴いたことが無い。
所々要素が感じさせるけどやっぱり新しいと思う。
アレンジが上手いなと思わせた。
伝統の中国音楽、基本的に儀式楽、民謠や戯曲楽方向だがら
基本的テンポは緩めでのどかな。
こういう”戦闘用音楽”は言われて見れば凄く新鮮だと思う。
2013/08/06
2013/08/05
ドラゴンボール最終巻
........42巻の話は時々が思い出す。
ドラゴンボールの世界観では力はほぼ絶対的。
弱いでも弱い人なりに役に立つ、ような姿勢は基本的に無い。
ただ足を止めるでも時間稼ぎでも、力が要る。
後半になるとピッコロ以下のクラスは殆ど役に立たない。
力は足りないでも知恵で何とかになる所がほぼ無い。
だからこそ、最終巻の話が1つ良い”物語”になるのは目立つ。
あの話だけ力以外の”何かが”見せていた。
そして非常に珍しくキャラの心理描写もやっている。
この巻だけバトルを描いてる漫画ではなく
”物語”を描いてる漫画であった。
鳥山先生は自分もよく知っているはず。
力なんて全てではない。
読者の要望に応じすぎて力を過大に描写したから、
力さえあれば敵を倒す、死んだ人も簡単に生き返る
ような状態は終盤になると色んな不満が溜まっている。
だからこそクライマックスは
サタンで呼び出した元気玉が決め手になっていた。
今まで力で全てを何とかしたが
最後の最後だけは”心”の話になっていた。
それは鳥山先生の1つ本音と思う。
そして先生はバトルをそんなに好きじゃないと思わせた。
まあ嫌いも無いと思うけど、やっぱり疲れたと思う。
それでもクライマックスで見たものは、
鳥山先生が”物語”を描く気持ちは最後まで忘れていなかったという。
ドラゴンボールの世界観では力はほぼ絶対的。
弱いでも弱い人なりに役に立つ、ような姿勢は基本的に無い。
ただ足を止めるでも時間稼ぎでも、力が要る。
後半になるとピッコロ以下のクラスは殆ど役に立たない。
力は足りないでも知恵で何とかになる所がほぼ無い。
だからこそ、最終巻の話が1つ良い”物語”になるのは目立つ。
あの話だけ力以外の”何かが”見せていた。
そして非常に珍しくキャラの心理描写もやっている。
この巻だけバトルを描いてる漫画ではなく
”物語”を描いてる漫画であった。
鳥山先生は自分もよく知っているはず。
力なんて全てではない。
読者の要望に応じすぎて力を過大に描写したから、
力さえあれば敵を倒す、死んだ人も簡単に生き返る
ような状態は終盤になると色んな不満が溜まっている。
だからこそクライマックスは
サタンで呼び出した元気玉が決め手になっていた。
今まで力で全てを何とかしたが
最後の最後だけは”心”の話になっていた。
それは鳥山先生の1つ本音と思う。
そして先生はバトルをそんなに好きじゃないと思わせた。
まあ嫌いも無いと思うけど、やっぱり疲れたと思う。
それでもクライマックスで見たものは、
鳥山先生が”物語”を描く気持ちは最後まで忘れていなかったという。
2013/08/04
悪い意味は付けていく
--群竜無首--
人材は揃っているが、統率者になるほどの者がいず
物事がうまくいかないことのたとえ。
この四字熟語は今がこんなの意味だが、昔は違うだよ。
”たくさん能力は凄い人が居て、しかし誰も統率者を選ばない。
それぞれの能力は凄いだからこそ、リーダーはいらない。”
本来は、そういう意味なんだ。
これだけ限らず、よく調べれば割りと多い四字熟語は
本来はどちらで言えば良い意味を持っているのに
時間を経てて悪い意味に転んでしまう。
文字を作り出す瞬間は、基本的に良い意味の方が圧倒的に多い。
しかし時間を経てて、”悪い意味”は付けていく。
これはあくまでも仮説だが、ある意味興味が深い。
人間は、”悪い意味”を比較的に扱える能力が欠ける。
出来れば”処理する”より、”隠れる”の方が優先気味。
しかし元々存在しているものだから、
”悪い意味”は必ずいつか何処かで浮上しまう。
そしてその時に、既に存在した言葉に付けて
あの言葉を”悪い意味”を持たせてしまう。
障害者は1つ例。
差別用語だから消すべきという声はよくあるけど
この”障害”という言葉自体の意味は悪いじゃない。
そのまま、あの人が不便の所が示すだけ。
しかし人間の態度で悪い意味を付けていた。
そしてある程度にレッテルになると、
”消えてしまえ”という声が湧いてくる。
これは、人間が”悪い事”を処理するのは苦手の証拠と思います。
人材は揃っているが、統率者になるほどの者がいず
物事がうまくいかないことのたとえ。
この四字熟語は今がこんなの意味だが、昔は違うだよ。
”たくさん能力は凄い人が居て、しかし誰も統率者を選ばない。
それぞれの能力は凄いだからこそ、リーダーはいらない。”
本来は、そういう意味なんだ。
これだけ限らず、よく調べれば割りと多い四字熟語は
本来はどちらで言えば良い意味を持っているのに
時間を経てて悪い意味に転んでしまう。
文字を作り出す瞬間は、基本的に良い意味の方が圧倒的に多い。
しかし時間を経てて、”悪い意味”は付けていく。
これはあくまでも仮説だが、ある意味興味が深い。
人間は、”悪い意味”を比較的に扱える能力が欠ける。
出来れば”処理する”より、”隠れる”の方が優先気味。
しかし元々存在しているものだから、
”悪い意味”は必ずいつか何処かで浮上しまう。
そしてその時に、既に存在した言葉に付けて
あの言葉を”悪い意味”を持たせてしまう。
障害者は1つ例。
差別用語だから消すべきという声はよくあるけど
この”障害”という言葉自体の意味は悪いじゃない。
そのまま、あの人が不便の所が示すだけ。
しかし人間の態度で悪い意味を付けていた。
そしてある程度にレッテルになると、
”消えてしまえ”という声が湧いてくる。
これは、人間が”悪い事”を処理するのは苦手の証拠と思います。
2013/08/03
そんなの人も居た
昔の漫画で書いてたエピソード。
テーマは障害者。
確かに5話程度で割りと短い話、別に良い出来も思っていないが
特殊な物語という記憶があった。
この話は右ページは右手で描く、左ページは左手で描いてた。
俺は左利きだがら、基本的に左ページの作画は正常という事。
障害者の気持ちを少しでも近寄るように
敢えて不便な条件でこの作品を描きました。
学生時代だからこそ出来る実験作だった。
この話を終わらせるために本当に面倒で苦しかった記憶があった。
右手じゃ絵のところが、文字を書くだけでも苦痛だった。
今で思えば、
別に大した感触があったからこの話を描く訳じゃない。
”そういえばこの世に、そんなの人も居たね。
描いてみようかな。”
多分そんなの軽さでしょう。
障害者だがら可哀想とか頑張ろうとか、そんな風じゃない。
あくまでも色んな”人の物語”を取り込めるために描く作品。
大学時期はこういう特に意味がないけど
やってみたいだけでうっかり描いてしまうエピソードは多い。
今で思えば、1つ1つ実験はちゃんと後の糧になる。
このSWのシリーズの話、構成の仕方、キャラ性格と要素は所々
プロになった後もアレンジして転用するんだ。
膨大なエピソードがあった分、下地が厚い。
時々に思うんだ。
キャラクターって何、どうすればもっと上手くなるのか。
そしてこの話を思い出した。
この世にたくさん人が居る、しかも案外に近いかもしれない。
好き嫌い以前、人と関われば良い。
人の事をこの目で見て、話し掛けよう、相手の事を考えよう
そして出来れば1日だけ、あの人と一緒に何をやろう。
結局あの人を好きになれなかったでも構いません。
こういう事は、”好き”と”嫌い”は同じくらい意味がある。
それだけで、色んな人の視野と概念を手に入れるかもしれない。
キャラクターはこんな風で育つと思う。
別に友達が多い訳でも、受け入れる幅が広い訳でもないが
見てて意識しようくらいやってみてた。
学生時代の自分は今となって予想外の形で役に立ちました。
テーマは障害者。
確かに5話程度で割りと短い話、別に良い出来も思っていないが
特殊な物語という記憶があった。
この話は右ページは右手で描く、左ページは左手で描いてた。
俺は左利きだがら、基本的に左ページの作画は正常という事。
障害者の気持ちを少しでも近寄るように
敢えて不便な条件でこの作品を描きました。
学生時代だからこそ出来る実験作だった。
この話を終わらせるために本当に面倒で苦しかった記憶があった。
右手じゃ絵のところが、文字を書くだけでも苦痛だった。
今で思えば、
別に大した感触があったからこの話を描く訳じゃない。
”そういえばこの世に、そんなの人も居たね。
描いてみようかな。”
多分そんなの軽さでしょう。
障害者だがら可哀想とか頑張ろうとか、そんな風じゃない。
あくまでも色んな”人の物語”を取り込めるために描く作品。
大学時期はこういう特に意味がないけど
やってみたいだけでうっかり描いてしまうエピソードは多い。
今で思えば、1つ1つ実験はちゃんと後の糧になる。
このSWのシリーズの話、構成の仕方、キャラ性格と要素は所々
プロになった後もアレンジして転用するんだ。
膨大なエピソードがあった分、下地が厚い。
時々に思うんだ。
キャラクターって何、どうすればもっと上手くなるのか。
そしてこの話を思い出した。
この世にたくさん人が居る、しかも案外に近いかもしれない。
好き嫌い以前、人と関われば良い。
人の事をこの目で見て、話し掛けよう、相手の事を考えよう
そして出来れば1日だけ、あの人と一緒に何をやろう。
結局あの人を好きになれなかったでも構いません。
こういう事は、”好き”と”嫌い”は同じくらい意味がある。
それだけで、色んな人の視野と概念を手に入れるかもしれない。
キャラクターはこんな風で育つと思う。
別に友達が多い訳でも、受け入れる幅が広い訳でもないが
見てて意識しようくらいやってみてた。
学生時代の自分は今となって予想外の形で役に立ちました。
2013/08/02
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