ちょっと思い付きました。
悩みを人に相談する事は、割と無い事。
俺は俺なりに悩みを持っている
普通直接に友人と話せればいいくらい事。
でも案外に、話せないんだ。
悩み自体はごく普通なのでまあそれは良いとして
逆に興味持ちました。
”何故しない”の事を。
特に喧嘩になりそうな事がある、
しかもちゃんと話し合えば解決できる疑問なのに
話せないは何故だろう?
よく考えたら、自分の悩みを言い出す
あるいは他人の悩むを聞いてあげる事は少ない。
こういう事は論理的に
親は一番良いの相手なのに、それでもあんまり言わない。
俺は、悩みを聞くのは
”経験と感情の共有”という行動と見える。
つまり、別に共有したくない部分は言わない。
普通は本当に悩みを聞くのは親友である。
ただの知り合いは言わない。
親友でさえ、心配させたくない場合はあるし
そうしなくでも、その相手で言い出すの答えは既に分かった
でも信じたくない........だから聞きたくない場合もある。
だからなかなか難しいと思う。
喧嘩した相手は、それは敢えて出来ない理由は
元々”共感できないだから喧嘩した”状態だから素直に話せない。
ただ”問題を解決したい”だけなら話はもっとシンプルと思う。
でも出来ないのは気持ちの問題です。
”あの人なら悩みを分かってくれる、迷惑もかからない
俺もその人に言いたい。”
悩みを言い出すのは、この3つ条件が必要と思う。
しかし、この3つ条件に”問題解決できる”要素実は存在しない。
”聞きたい答えを聞ける”鬱から解放できる”
”そして別の視点で自分の事を見る事は出来る”が
それだけで問題を解決できると限らない。
だから心理医師は仕事として色んな人と悩み相談できる。
しかし友人の場合はそうと限らないですね。
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