http://zip2000.server-shared.com/charles-m-schulz.htm
「ピーナッツには、なぜ大人が登場しないのか?それは場所がないからです。枠の中におさまるためには、大人はしゃがみこまなければならないでしょう。この答えは実は冗談ではありません。これは読者が背の低い草を真横の目線から見ている唯一のマンガなのです。読者は子供たちの中に入り込んでいるのです。大人を描き加えるには、もっと離れた位置から見たようにしなければならず、全体の構図が変わってしまいます」
担当が『ここの展開は、先生と親が出せるのがもっといい?』
そして、ふっとこのエピソードを思い出した。
1回目のネームでは
ラストの12話にリッちゃんの父さんが出てきた。
子供達のケンカをフォローしてくれて話をまとめる。
でもよく考えれば
別に父さんが出なくても話が丸収まるよね。
この話の基本スタンスは
先生と親が『子供の紙幣』のことを全く知っていない。
つまりこれは
『子供たちが自分が最初から最後までなんとかする物語』。
子供の国の金、だもんな
体育先生は例外的に登場したけど
あれはスターシステムとして使う、
そしてあの先生が『大人』という立場として描けてないから。
だったら12話は、田くんとリッちゃん二人の力で
クラスのトラブルを乗り越えるの方が
この物語のテーマにマッチするかもしれない....
....明日、ネームをもう一回直してみよう。
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