2010/11/11

15日目

とうとう介護を雇った。

手術後は15日くらい退院できるという事を聞いたから
まだ10日かかると判明した。
さらに10日も病院にいるのは無理と思って.......

まあ、今日まで2週間も頑張りましたし
これ以上に仕事の支障を重ねたくないからね。

介護さん来た時、少し会話した
ちょっと違和感が感じると思った。

なんか、返事のタイミングは遅くて....
普段こっち慣れたスピードで話すのはちょっと付けていないかと。

必要事項のメモは書かないの、と聞いたら
相手は”字を書けないから”と返事した。

............え。

そういえば、あの人は中国から来た介護だから
台湾の漢字を書けないかもしれないけど

なんか違う。本当に字をあんまり書けないらしい。
相手から名刺を貰えると思ったら
電話番号しか書けていない。名前は書いていない。
その違和感はここなのか。

数字しか書けない、
そういう人は初めて会った。

盤古の主人公はまさにこういう人ですが
やっぱり字を書けないのはある程度に影響を出るのか。

字を読めないだからと言って頭が悪いと限らないが
でも”手段という幅”はどうしても狭くなる。

覚える事は比べて少なくて
実際に事務を繰り返すで覚えるしかない。

だから、”限られた事を信じるしかない”.......か。

教育の力は普段あんまり感じられないが
今日で初めて”字を読む”という力を分かった気がする。

”モノを知っている”だけで、
人間の背中に絶大な安堵感を与えるなのだ。

だとしたら、
字を殆ど書けない魯泉はあきれるほど”神を信じる”事は
現実なら辻褄は合うんだ。

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