『めぞん一刻』を勉強して、1つことをわかりました。
『誤解』という神器を。
俺の漫画はラブコメを描くの難しいのは、
キャラの間に『誤解』はしないから。
情報を伝うときにミスしたら大きなトラブルが嫌いなので
自然にキャラたちに互いの理解は最短距離でいく
スタンスで漫画を描く。
でも、ラブコメでは『誤解』は非常に使いやすい。
バトル漫画のようなバトルがないため
ラブコメはその気があればすぐ二人が結ばれる。
現代ではヒロインの数を追加で水増やせるが
高橋はめぞん一刻でそんなことでしなかった。
誤解の利点は『好感度を好きなだけ微調整できる』。
もし二人がうまく行きすぎると、
些細な誤解で『少しくらい好感度を下げる』
そして、誤解で仲がよくなるのもありだから、非常に便利。
ある程度に二人の仲が一進一退、ぐるぐる回しても
物語に耐えられる。
あるいは、『誤解で』物語を好きな方向を進める。
このシーンはまさにそう。
もしここが赤ちゃんの誤解がなければ、三鷹は退場できない。
本当に起こったことと比べて
誤解は『あくまでも起こってない』ことなのに、
似てる力があります。
ええ、現実にもそうだから。
真実は知らなくても、誤解だけでいくらでも事象を変化させる。
ある意味、『嘘』ほど心象が悪くないだからこそ
キャラの悪意を感じられないから読み手もストレス少なめ。
誤解と噂はこんなに便利と思わなかった。
これをここまでうまく使えるの高橋先生はすごいなと思いました。
http://kansou-review.com/maisonikkoku-comic-001/
誤解のパターンまでいくつ用意しているのが絶妙。
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