大人になったら叱る人が居ないとか褒める人が居ないとかより、
「救ってくれる人」が居ないのが一番怖いんだよ。
この間に、友達二人と台北駅で散策する時に
発作した時に起きたことを思い出す。
実は、発作まで俺は何回も「ちょっとキツそう....」
みたい話をしたけど
二人は「まだ歩きたい」みたい空気があるので
ちょっと無理矢理続いてた。結局4時間くらい。
とうとう動悸が発作した時に
車を近くまで運転してくれて散策を終了したけど
帰り道の車の中で友人はこう言いました
「まあ、今の体力はどこまで歩けるのを確認もなれますよね」
その瞬間で
ああ友人と言っても、わかってもらえない事だってたくさんある
と気づいた。
不安障害のことについて、とっくに説明しました友人なのに。
多分、その時に俺は本当その場で倒れたら
まあ病院に運んでくれると思う。
しかし、その先もうない。
多分二度とそういう散策を誘ってくれない。
俺を嫌いにならなくても、面倒事に絡めないように
距離を取ってくるだろう。
家族でさえ、必死に親を救う人はそこまで居ない
友人なら尚更、それくらいのは当たり前。
そこは分かる。俺だってそうだんだ。
だからこそ、家族が欲しいなんだ。
ある意味、救ってくれるのは介護してくれるを期待してるわけがない
苦しい時に手を握って欲しい、そういうのが欲しい。
ちなみに介護の費用は、自分でなんとかするから。
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