.......そういえば、誕生日以来の休日。
仕事は全くしませんでした。
こういう日は月2日くらいあればマシの方だ。
とは言え殆ど寝る。とにかく寝る。
12時間くらい寝たかな。まあいいや。
頭の仕事を始まる前に、ちゃんとリラックスを取る方が吉。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B
水木先生のWIKI。
http://mugigicat.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-9b9f.html
水木しげるが貸本漫画家になる決意をして上京したのは昭和32年のことです。そのころ、兎月書房という出版社が水木しげるに示したという原稿料の相場は、「一冊百二十ページくらいで、三万円、ただし、税金はさきに一割引かれるから、手にはいるのは二万七千円」というものでした。
昭和32年当時の大卒の初任給は13800円です。平均なのか税込みなのか、たまたまどこかの会社がそうだったのか、詳しいことはよくわかりませんが、とにかく13800円でした。
いや驚いた。色んな意味で。
手塚先生より年上(でも今は生きてる)、40歳過ぎ初ヒット、
戦争で左腕がないとか。
物凄くマイナーだった妖怪ジャンルは普及させた事も凄い。
あんなに貧乏の時代なのに
そこまで漫画を立たせた人々は本当に凄い。
戦争はもちろん、貧乏や飢える経験は欠けた俺は
そこまでやれる自信は無いけれど、
俺もそんな風になりたいんだ。
まあ、我慢や耐えるだけで勝てないくらい知っている。
勝つために、策略や思考が必要だが
その時代の先輩達はやっぱり凄いと思う。
色んな辛い思いがあってもいいんだ、
ちゃんとヒットして漫画をもっと生きさせたい。
金は本当にご飯食えるくらいでいいんだ。
もっと漫画を描かせてええ。
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