ずっと違和感の正体を考えてた。
プロの漫画家、本来はけっこう厳しく
連載はヒットしない限り、収入は多くなく名声もあんまり無い。
打ち切りされると悔しい。悔しくても立ち上がらないといけない。
しかし、立ち上がっても次は上手く行くと限らない。
いくら自分の心はどんなに打たれ強いでも、成功しない人の方が多い。
本来はそういうモノはずだ。
盤古は運良くてここまで続けてたでも、
一日もプロ漫画家は元々が非常に厳しく事を忘れないように。
そうすべき事はずなのに、あんまりそう思う人はが少ない。
高校時代から日本の週刊誌を買い続け
今でも毎週ジャンプとサンデーの連載を読んでいる。
昔なら読者視線で読むが、今はもう一つ視線を増えた。
作者として、競争相手の作品を見る事。
もちろん雑誌どころが国すら違うだから
アンケートでも売り上げでも比べる物にならない。
それでも毎回ジャンプやサンデーの話を見ると
ああこれは凄いな。こんなの描き方はあったのか。
こんな考え方は上手いな。見習えないといけない。
或いはこのシーン俺ならもっと上手く描けるはず、
この展開は面白くないだろ、アンケートがやばくない?
そして来月の揭載順を見て自分の判断を正しいかどうか練習します。
.......という事は毎週があります。
もちろんうぬぼれ事はあるだけど、
こういう事のポイントは、勝負して勝ち負けをハッキリさせて
自分の作品はどのくらい面白さがあるを判断する。
負けた時は、ちゃんと負けを認めないといけない。
少なくでも自分にとってこれが重要だと思います。
元々、台湾の漫画は日本の漫画に明らかに”負けていた”
漫画の書き手はそれを認める事すらしない事を感心しない。
みんなはずっとそう思った:
”環境が悪いから仕方ない。もし日本と並べる原稿料、印税
アシスタント数、そして日本と並べる雑誌部数さえあれば
私たちは負けない。”
しかし果たしてそうなのか。
60年前、手塚先生の時代はどの雑誌も部数が低い
今より原稿料が低い、その時のプロはもっと苦しかった。
印税も存在しない、アシスタントだって使えない人が多い。
その時のプロはもっと理不尽の条件で働いてた。
多分、たくさん漫画家は今の時代より悔しくて
漫画を続けたいでも続けなかったという。
しかし勝ち負けはそういう事でした。
逆で言えば、負けた数だけに”勝者”がいる。
だから、基本の基本かもしれないけど
勝負して、ちゃんと勝って喜ぶ、ちゃんと負けて悔しくて
そこから話が始まると思います。
全員誰も”負け”を認めないと、話はいつまでも始まらない。
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