この前に、ある知り合いは
”もう子供がいるけど、大人になりたくないな”と言った。
この一言で、昔の事を思い出す。
確かに5年前の秋だった。その頃にあの知り合いは家に部屋を借りてた。
父さんの症状は初めて現れた頃。
まだ初期なので俺も意識してないが、
父さんすでに怒り易い、所々記憶が混乱を始めてた。
あの日、父さんは理由もなく母さん大切な思い出写真を捨てた。
家は大喧嘩ので原稿を進めない。
仕方なく俺は父さんを連れてゴミ場を探して行く。
でも原稿は締め切り目前。しかも科挙篇のシナリオを考えているので
時間は足りない。
その時、家に居たその知り合いを頼んだ。
金を払うから、今日だけアシスタントやってくれ
原稿のベタを塗るだけでいい、っと。
あの知り合いは、パソコンのゲームをやりながらを返事した。
”俺は今が忙しいだから。”
..........その光景は多分一生忘れない。
あの夜は泣きながら原稿を描いてた。
すごくショックだった。
家はどんな状態になっているのは、彼がその目で見たはず。
手を貸せないだけではなく、ゲームをやりながら拒絶した。
嘘でもいいから、せめて仕事らしい事を見せてよ..........
そんなの人は”大人になりたくない”ような言葉を言うのは
絶対に良い意味になれない、と思わせた。
このきっかけだからかもしれない。
”大人と子供”のテーマを時々考えてるようになった。
どんな大人が立派。
子供はどんな風にいるべき。
子供はただ自由や無責任だけではない。
そんなの大人は、”大人になりたくない”を言い出すのは
”心が若い”ではなく、単なる”責任逃避”だと思う。
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