ちょっと面白い話を思い付けた。
背徳感という話。
人間って、大体ちょっぴり悪い事をやる時は
快感を感じる。
背徳感のパラメータという話を考えた。
どこまで悪い事をやりたいのパラメータ。
人間って普通に良い事をやる時に気分が良い
それもよくあります。
だが、道徳が強いほど事をやりたい訳でもない。
大体の人間は、小さいな良い事しかやりたくないんだ。
基本的に教育の姿勢は
どんなに小さな悪事でもしてはならず
どんなに小さな善事でもしようと心懸けよ
だから基本的に教育に関わる話は”良い事をやろうとする”
という感じで語る。
しかしよく考えればそんなに簡単に済めれば
”良い話を見るだけで善事が溢れる”なら
この世は善事が溢れているはずだ。
同様、悪い事を見るだけでこの世が溢れるほど単純じゃない。
こういう事は”覚えて上がっていく”と思う。
誰も大きい悪事をやりたい訳ではない。
そして小さい悪事をやると、段々に大きい悪事をやりたい訳でもない。
動機は小さくでもいいんだ。
大きい悪事は利益に関わるだからやるんだ。
悪事自体をやりたい訳ではない。
同じく善事も同じと思う。
やり易い環境を用意すれば育っていく。
で、最初の話に戻る。
”信号灯を無視して進む”や”今日の宿題を放置”
くらいの快感はある。
が、蟻を殺すが面白い人はいずれウサギを殺すの快感を覚え
殺人鬼ほど発展していくと限らない。
というか、大体の人はそれが無理。
”利益のために人を殺す”の方が確率が高い。
だったら、どんなの人間は趣味として
どれほど悪事を興味を持つ、それは背徳感のパラメータの話。
物語として、描けそうかも。
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