2010/12/22

雑草とエリート

http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/4dfd7ba79a96c15826fe7177613bcef5
雑草魂の“低み”


へえ、そういう考え方もあるか。
 
どちらで言えば、今まで才能の才字は無い俺にとって
少なくでもエリート扱いはありません。
 
まあ、雑草ような踏まれて生き延びた、ほど酷い訳でもない
普通くらい、というレベルでしょう。
 
 
しかし、俺には想像できる。
何が”底辺の人々がエリートを恨め”。
 
でも早い話なら極めて単純の話です。
金が足りないだから金持ちを恨みだけです。
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
という訳で、共產主義が生まれた。
 
しかし一番現実のは、
底辺にいる雑草でも這い上がると地位を手に入れると
結局誰も金が欲しいです。
しかも教養が足りないの分、やり方はエリートより酷いです。
 
いや誰もそうになる訳ではなく、
教育がそんなに高くないでも知恵を身につけて
相応しいのリーダーになる人はたくさん。
 
 
言いたいのは、”上の人になる条件”は色々ある
こういう這い上がるのは、
ある意味に警察とかスポーツマンや母親になると同じ
”自身のクラスチェンジ”の一種です。
 
高さはあくまでも高さ、偉さに直結するのはちょっと違う、
という話です。
 
ラーメンはラーメンの誇りが持ってもいいですが
無理やりに”フランス料理の上に行く”のは趣旨が違う。
 
 
盤古のラスボスは、妖怪と神明の話なので
この線で考えましょうか。
 
ある意味分かり易いテーマと思うし、
実は大体に”人間と動物”と置換できる。
 
上にいる人は、比べて条件や資源は底辺により確保されてたが
義務もその分に重くなる、色んな能力が要求される訳だ。
 
金が欲しい、より良いの経済条件が欲しい、という単純な欲望だけで
”理想”というイメージが持っていない人には
”上の人”になるのは、到底に無理だと思います。

金を出して物を買うだけならサルでも出来るが
それだけじゃ”何かが作り出せる”事とは全然違うし。

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