最近の展開を見ると、薄々感じる。
ノットイーコル(悪平等)はどういう事。
俺の考えては、
安心院は”人間の集合体”。
めだかは、”人間の理想像”と思います。
安心院は1京の能力を持っている。
自分以外は全て同じ。ずっと生きている。
分身がある、しかも何億。
これは、彼女が”人間の集まり”として考えれば辻褄が合う。
数億の人間ならあれほど能力があるもおかしくない。
人間は自分が大好き。種族がいるかぎり死なない。
だったら、安心院はめだかに勝てない理由も辻褄が合っている。
いくら人間が何億が居ても、”理想”に勝てない。
めだかの序盤の設定を考えれば何となく理解できる。
いつも人間を真似している。”完成”の能力が持っている。
能力の割りに影響されやすい。欠点さえ完成する。
中身は真っ黒。
理想主義すぎて、人が付いていない。
.......俺の考えでは、めだかは最初の頃、人間ですらない。
人間、最初の頃に”理想の人間”という理想のイメージが無い。
しかし思考の次第で、その理想像が生まれてきた。
その理想像は最初が完璧で欠点がない。
しかしそんなのイメージが普通の人間にとって意味が無い。
なれないし、出来ないから。
”理想の人間”の定義は、時代進む度に変わるんだ。
だから、めだかボックスのラストエピソード、テーマが
”人間の全体像と人間の理想像と人間個体の関係性”と思う。
だったら安心院はめだかの敵ではない、仲間でもない、しかし関わる。
という概念も理解できる。
人間全体は、”理想”を見つけてという課題がある。
しかしその理想はおそらく誰もなれる訳が無い。
”理想自体”になれる必要も無い。
が、その理想像が人間の中心で、様々の人を影響する。
欠点ばかりの人間も、普通の人間も、異常の人間も、
そして”全体の人間”も。
それにそんなの人々も、人間の理想像をさらに進化させる。
互いに高めて。繰り返す、繰り返す。
人間達は、いつか理想になれる。
理想像は、いつか人間になれる。
多分こんなの話と思う。
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