http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98
無意識
この前の出来事。
紙を切るためにカッターナイフを取るつもり
しかし気付くと、手に居るのは鋏だった。
ちょっと変と思うと、よく考えたら
無意識に”カッターナイフは使い難いから鋏を使おう”
という選択はしたはず。
俺は、絶対そんな事を意識していないはずだ。
しかし行動はそうした。
時々こういう事を気付く。不思議と思った。
別にごく普通な反応と思ったが
この話は盤古の妖怪話に使えるかもしれない。
神は字を使って、つまりその基本ベースは”理解”。
あらゆる事はある程度に理性が高くと
水面に浮上、意識はできる。
実際、ハッキリした意識で思考したモノこそ
あらゆる専門な”学問”になる。
だったら妖怪の方向性は逆で
.........つまり意識は”水面下に沈む”。
元々意識できるモノを意識できなくなる、
気付けるモノは気付けなくなる。
理解できるモノは理解できなくなる。
光に相当する思考は闇に逆戻り。
そんな感じかなと思いました。
だったら妖怪の本能は”理解されたくない”モノを
闇で被せる......と思う。
この意味はよく分からないかもしれないけど
自分の体験ならたくさんあります。
時々、現実に人々の反応を見ると薄々感じる。
”理解したくないモノを、理解できないように頑張っている”
という感じの事はよくあった。
相手も説明できる、考えれば分かる、というモノなのに
どうしても耳は聞きたくない。
詳しく説明すると逆切れ人は居る。
理解できないほど難しいモノではない
関心を持っていない無関係事項でもない
しかしあえて理解したくない、しないようにする。
そこにいるのは、隠したい歪むがある。
自分のワガママを認めたくない。
自分の嫉妬を見たくない。自分の弱さを立ち向かえたくない。
自分の恥を触られたくない。という事になる。
盤古の世界観で言えば、そこが”妖怪”がいる事だ。
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