2015/06/12
ゲームの本質2
子供が遊びの天才だと思うのは、彼ら、
瞬時に「ルールを変容」させるんですよね。
前、追いかけっこをしていた子供が
「じゃあ今からこの滑り台から離れたら 負けな!」
っていう条件を追加しただけで、
全く新しい遊びを開発していたことに驚いたことがある。
あれはホント凄いと思う。
えーと考えます。ゲームって何?
http://wise9.jp/archives/876
WIKIによる、ゲームは
勝敗を決めるなどのルールや環境または
他人との相互作用を元にした普通楽しみのために行なわれる活動である。
「鬼ごっこ」では、
「鬼が子供を追いかける」「子供は鬼から逃げる」
という行動の形(スタイル)があります。
もちろん子供を捕まえたり、鬼から逃げるのは楽しいことです。
でも、ゲームの面白さの本質は
「制約」であり、制約から受ける不自由。
捕まった子供が「おれそんなルール知らないし」と
言って逃げ出すことは簡単なわけです。
それでも、「鬼に捕まったら、この地面の丸から出てはいけない」
という簡単な約束事(=制約)が、
既に捕まった子供たちだけではなく、逃げている子供たちをも縛り、
鬼ごっこのスリリングな雰囲気が生まれる。
実は「鬼ごっこ」の面白さを保証しているのは、
「捕まったらゲームから外れてしまう、丸から出られない」
という制約なのではないでしょうか。
「タッチされても即ゲームに復帰できる」みたいな鬼ごっこ、
遊びたくないですよね?
たとえば鬼ごっこが電子ゲームに移植されたとしても、
「逃げ切れずタッチされた悔しさ」「捕まったあとの不自由さ」
の感情を喚起できないゲームは単なるクソゲーです
(実際に「鬼ごっこ」はもちろん、
本質的に鬼ごっこと変わらないゲームはいくらでもありますが)。
こうして見てみると、「ゲームデザイン」とは
「制約のデザイン、不自由のデザイン」である
とも考えられるのではないでしょうか。
.........おお、この切り口がいいな。
http://www.famitsu.com/guc/blog/shin/12127.html
ゲームは、経済的に安定した社会があって、
戦争を行う遺伝子が「オフ」の状態になっていることで、
そうした遺伝的な欲求が代換えの姿として、
はじめて姿を現しているものと考えられる。
我々は199万年間にもわたって戦争を行ってきた人々の末裔なのだ。
http://smmlab.jp/?p=19553ゲーミフィケーションという言葉は
「日常生活の様々な要素をゲームの形にする」
という意味の単語「ゲーム化(Gamefy)」から派生。
まあ、これも面白そう。
『ゲーム』は、子供が大人を勝てる数少ないジャンルの1つと思う。
ルールの適応力はどうしても子供の方が強い。
だから子供が世界を救えなければならない場合は
『ゲームでしかない』、という話があり得ると思う。
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