2011/07/03

相対座標

知り合いと食事。
ちょっと悩みを言いました、そして少し考えてた。

俺は、常に相対座標を探していたようだ。
細かい所まで考えてハッキリ理解したい。

必ず自分正しいと証明したい訳ではなく
自分が間違いを証明されても、ハッキリ何かが分かって欲しい。

だからいつも”自分の立場と相対の人の考え”を探す。

しかし問題は、よく勝手に想像してその”相対”を作る事があった。
勝手に言い出す、勝手に結論を作る。

つまり俺にとって一番理想の形がテーマを出して
”この事はこういうもんだ!””いや、そこが盲点があるんだ!”
という感じで互い高めに話し合いがベスト。


しかしああいう相手があんまり無いだから
大半は自分の頭にテーマを決めて
相手の事が素材として扱えて一人会話を始まり。

俺はハッキリしたい概念が”世の中に価値観は色々”一語
の感じで答えになっていない返事が満足できない。

”これはこれ、それはそれ。全然違うじゃないか!”
で納得できない自分はいつもがいる。

だから時々相手が
”私はそう思っていないだよ。あなたの思い込むだけ”
と言い返す。

結局に時々トラブル作りみたい事になった。

そこは反省すべきと思う。
言いたい事があるなら、覚悟を決めて相手に言ってごらん。
一人で考え込むよりずっといいと思う。


まあ、何でもハッキリする必要が無い。
余白くらい残して、人の人間関係として理想だと思う。
”人”をハッキリ強要しない。

そんな前提で、”概念”をハッキリしても良いだろう。

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