http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%BD%E5%AE%B3
ここから話は”自然災害”で基準。
今日はちょっと妖怪の話を打ち合わせ。
機甲盤古では妖怪は犯罪者の定義と似てる。
ルールから外れている存在。
で、妖怪や霍安の動機は”認められたいから”頑張っている
......ような感じじゃない。
俺のイメージは、妖怪は自然災害に近い。
旱魃は、踊りや祈りで何とかになる訳が無い。
洪水も話し合いで退く訳がない。
少し極端の考えだが....”会話”で意思通じる時点、妖怪じゃない。
”褒められたい”、”認められたい”
という感情自体も基本的に相手の価値観を頼る。
どれもなんか違う。
水が好きな所に流れたいから洪水を起こる。
雲はその所に行きたくないから旱魃を起こる。
それほど純粋な事と思う。
だから、台風に”ここに来るな”と言っても意味が無い。
”粋から外れ”の事は、自分のコントロールは元々できない。
だとしたら.........ラストのボスはラスボスじゃない。
妖怪は気まぐれだから、魔王のイメージに合わない。
物語の意味では、一番魔王に近寄るのはやっぱり霍安。
霍安は妖怪と神明両方のバランスを取れるから
彼が魔王の方ドラマチックと思う。
...............そう思ったらちょっと面白いかも。
今の霍安は明らかに魔王じゃないが、
今まで起こった事全部は魔王にクラスチェンジ過程と思えば
ある意味が魔王のサクセスストーリーだぞ。
と、機甲兵についでも書く。
ここまで描写は”巨大なパワー持つだから”に近いが実は違う。
パワーだけなら、神より妖怪の方が上かもしれない。
機甲兵一体は100匹妖怪のパワーと互角でも
結局100匹妖怪があれば済む話。だから”力の大きさ”と関係無い。
重要のは”力の方向性”。
機甲兵は”力の方向性”をコントロールできる。
”コントロール効き悪さ”は元々妖怪の弱点だから
全方向性の機甲兵1匹だけで全て補う。
例えば、電力を起こっても電球が無ければ照明はできない。
クーラーもテレビも、その機械がなければ出来ない。
機械1つは1つ”力の方向”と同じと認識なら
機甲兵はまさに万能。
霍安の狙いは恐らくそれだろう。
この辺りの話を考えると5回戦の光景をイメージできる。
妖怪達が遠くに居て、盤古の試合を睨めている。
”機甲兵の合格”を期待している、という異様な光景。
盤古の気持ちは、ちょっと複雑かもしれない。
良い絵になりそうです。シチュエーションは悪くない。
妖怪を描写する機会、この作品ではかなり限られているが
一度だけでもいいから妖怪の見せ場を作りたい。
素晴らしいラストエピソードを作って欲しい。
でもストーリーまだ完璧に決めていないから頑張ろう。
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