小学4年生のある事を思い出した。
校庭清掃係だった俺は初日に学校の外に行ったら、
ゴミだらけの道を見た。溝を埋めるほど量があった。
ゴミだけではなく、随分に溜まったから泥だらけ。
ゴミの山まで行かなくでも、結構酷かった。
学校の壁の外は、なんでこんなに汚いだろう。
こりゃ、20分で掃除終わる訳がないだろうと思った俺は
気持ち的にある程度にゴミを集めてクラスに戻りました。
そして先生に叱れた。
正直それはいくらなんでも一人じゃ厳しいと思った。
何より、何故ここまでゴミを集めたまでちゃんと掃除していないのか
大人たちは何をやっているだろうと思った。
ここまで来たら俺の責任じゃないよ。
何故俺は人より辛い掃除をやなければならない、と。
で、何故が分からないのけど閃いた。
だったら俺一人で出来たら凄いと思って。
結局3日分の掃除時間を使って
ゴミ袋2つくらいのゴミを集めて、そこの道にピカピカまで掃除しました。
まあ今で思えば大した事じゃないと思う。
真面目に1時間の掃除だけ。やるなら大体誰も出来る事。
でも重要のは、”やりたい”訳が無いのに結局できた事と思う。
基本的に子供の自己満足だけど、良い方向に働けていた。
やりたいだからやる、やりたくないだからやらない。
こういう考えはよくあるけど、それだけじゃ出来ない事はたくさんだ。
他の別のモチベーションは存在していた。
今で考えれば、その時の経験は大きいかもしれない。
金を貰えた訳は無く、褒められた訳でもない、
やりたい訳でもない。
ただ単純にそれを出来たら凄いと思えて、誰もやろうとしない事をできた。
動機として、これは結構自由度が高いと思う。
金を貰えない事なら大抵誰が褒められるから、
或いはやりたいだからやる。
しかしどれも限られる範囲がある。
単純の挑戦心は子供にあるけど、大人になると殆ど消えてしまう。
この気持ちを少し残せてたのは作家としてラッキーと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿