2018/03/08

最後の”大きな遊び”

1999年6月の時に、
スランプになって漫画を描けなくなった時があった。

その時に、1ヵ月くらいなにも描けずに
貝獣物語というゲームをやりました。

このゲームは中盤から進められなくクリアできなかった
その頃に日本語はそれほど上手ではなく
攻略本もないしネットもないし。

”絶対にこのゲームをクリアしてやる!
小学生に向けて作ったゲームだから
大学生の俺がクリアできない訳がない。”

と思いつつ辞書を持って単語を調べながらプレイしました。
色々想像力を働かせて、とても熱中になった。
そしてとうとうクリアできました。

正直このゲームに欠陷はある。非常に面白いと言えない。
でもクリアした時に感じました。
夢中になるものは、”自分が好き”で十分。
ゲームの出来悪いでも愛着があれば楽しめる。

........そして、自分の漫画もそうだった。
良い作品を作り出すではなく、
まず”自分が好きな作品”を描かなくちゃ。

これを乗り越えると、俺の基本漫画スタイルが完成した。


そしてよく考えれば、大体この事件は境界で
俺がゲームを遊ぶ時間がガクッと減りました。
ほぼ漫画一本に絞りましたと言っていい。

今で思えば、このゲームをクリアする挑戦は
最後の”大きな遊び”かもしれない。

目的はなく、何を求めるためにやった訳じゃない
時間の無駄になるかもしれない。
それでも、子供の頃と同じ気持ちで遊びましたのゲーム。

もちろん、みんなはこんな明確なイベントがあるわけがない。
みんなは徐々に遊びが減って仕事が増えていくと思います。

でも
”最後の”大きな遊び”をやり切れ、大人になっていく”
というイベントが漫画の話として描くのは
いいかもしれない。

大人になるとゲームの意味は子供と違いになる。
大人にとってゲームは学習の要素はなくなり
気を紛らせる、リラックスの効能にシフトに行く。

いくら考えても
子供の頃のように夢中に、目的もなく遊ぶ気持ちは戻ってこない。

ちょっと切ないけど
大人になるのは”子供と特有の万能感”を失う、
”何もなれる”という気持ちは
”たった1つの何かがになっていく”になる。

子供時期は戻れない。
代わりに良い”思い出”になって大人の自分と一緒に歩いていく。

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