2013/01/19

”普通”は感じられない

快楽と痛苦は対称的ではない。
体は病気の時は”痛苦”を感じるだが、健康の時は”快楽”を感じない。

健康の時は”何も感じられない”。それが『通常状態』。


....この事を気付けた時は、なんか今まで1つ盲点を見つけた感じ。
時々”私は不幸ではないけど、しかし幸せでもない”
ような文句を聞いてるけど、昔が変と思った、今は確信した。

それは”普通”だった。
ああいう人は、”普通”に文句している。

実は普通で良い、というかむしろ普通で居るべき、
”幸せ”になるべきではないの事はたくさんあるぞ。

例えば、心臓は正常に動く、息は正常にできる
こういう”普通”の事はイチイチ”快楽”を感じると、実は逆に危険です。

つまり幸せは多くほど良い訳ではない。
いつか副作用が無い麻薬を見つけると、
ただ食べると凄く幸せになるのは危険と依然変わらない。

幸せはあくまでも褒美、つまりたまに来るべきモノ。
幸せは人を夢中させる。逆で言えば警戒心は下げる。

生物にとって、一番幸せになる時は睡眠、食事とセックス。
どれも警戒心が低いので天敵に食われる確率が一番高い時さ。

だから、8割の時間は普通でいいんだ。
”普通”は俺たち思ったより感じられないけど
ああいうモノは、そんな風で役に立つだ。


この話は絶好な読みきりになる。

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