2011/07/18

勇者「魔王倒したし帰るか」

http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51647131.html

信念があって、そのせいでいろいろ歪んでいっても、
その信念を捨てたら最後、今までの犠牲が全部無駄になる

最初の決断はそれほど難しいものじゃなくても、
繰り返せばどんどん重い決断になってく

んで、決断を下した事実、

犠牲にした存在が次の決断を迫られたとき重くのしかかる

そんな精神の足枷つけて過酷な状況に生きてたら、

そのうち足を止めることすら罪悪を感じるようになる

目的のために一線を越えたのに、目的に向かうことを止めたら、

一線を越えた自分はどこへ向かえばいい?

 
.............うーん。重いけど面白いな。
 
 
前半の勇者は”後半の惨状”を語り、
後半の僧侶は”前半の旅路”を書く、
2回を読めば全て伏線を繋げる構成は面白かった。
 
自分的に、この作品は
”人間の心のダメージ容許上限”を示す作品と思う。
 
特に秀逸のはちゃんと普通のレベルからじわじわ上げて行く所。
 
いつの間に戻れない。
戻ると今まで犠牲した全てが水の泡に。
 
普通なら途中で諦めるか死ぬか、どちらになるはずけど
この作品はRPG蘇生呪文のデメリットを逆手を取って
”心のダメージ”を上手くに畳めて行く。
 
考えさせたね。
心が強くなるのは何だろう。
 
多く困境を乗り越えた後、心が強くなるのか?
それともただ”心のダメージ”を積蓄していくだけなのか?

この意味では、人間の器は分相応のモノしか持てない。
本来なら多い人で背負すべき事は一人で持つべきじゃない。

限界を超えると逃避する道を使うしかない。
リミットを無理やりを上げて、その痛みを麻痺させる。
そして歪みは現われる。

我慢して、無視して、傷を治せない。
信念は持っているこそ、より大きな傷を負ってしまう。

繰り返して、その歪みを処理するスピードは追わないと
バランスを崩れて、器の自体は壊れる。
残されたモノ以外、全てを排擠する。


この線で書くと鬱になるが、
心のダメージとケアは結構良い話になると思う。

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