2013/12/01

人性がある限り

七つの大罪 27話 無情の雨
 
最近ネームを勉強するときにこの話を考えてた。
この話のサブタイトルは”無情の雨”だが
内容を見る限り、雨とも無情ともそれほど関わっていない。
 
俺はそう考えている:
この話もともとヒロインの見せ場であるはず。
弱いヒロインなのに国に追われた身になって、
雨の中に騎士に捕まれて、殴られる悲壯感が今回のメインテーマはずだ。
 
しかし編集はそれが面白くないと思って
打ち合わせによる、”説明回と新キャラ登場回”というスタンスに変更。
 
だがサブタイトルはそのまま変わっていない。
ある意味、作者の意図と雑誌の方針と違うと感じるの一回であった。
 
 
俺は完成したバージョンが商業漫画として正しいと思う。
鈴木先生は長所が内容の深さより、
”浅いでも誰も楽しめる娯楽作”の方と思うから。
 
ページ数が多いの月刊ならともかく
週刊なら単純明快の話の方が良いと思う。
 
鈴木先生の作品はデビュー連載から大好き。
しかし何となくズレがあって、どんなの作品も
”なんか違う”の感じが存在しているのでヒットはしなかった。
 
今回の連載はそのズレ感は消えてた。
”まさに今の読者がそれを読みたい”所がしっかり掴んでいた。
 
この作品はこういう見せる所の選択が非常に正しい。
毎回にネームはそれをよく表現していた。
 
作品は作者本来の意図と違うのは、良くないと限らない。
まあこの意味では編集の立場として同じです。
 
 
 
....話が変わるが、盤古の妖怪の話を考えるときは
妖怪はどんなの存在という定義はずっと大きな課題になっている。
 
妖怪とまともな会話はできない。
分かり合いはまず不可能。受け入れるも不可能。
 
地震や火事ような災難と似てる存在。
そんなもんと”分かり合える”とか”受け入れる”とか
そんな考えなんて場間違い。
 
しかしそんなのもの居る限り処理し続けなければならない
人間の生存として永遠のテーマである。
 
そして人性もそんなの物と思う。
人と折り合う限り、人性がそこにある限り、
生と死や善と悪ようなテーマは永遠に逃げられない課題。
仕事する時はそれも含めて処理しながら生きていく。
 
作品を作る仕事もそんな感じと思う。
 
自分の独断による、気分による、様々な事を無視するのは
まるで”囲碁をやる時は石が1回に2つを打つ”
基本のルールまで無視してやっていく事と同じ。
 
常識を無視するのは枠を壊すの創造と限らない。
ただ単なる”ルール違反”に過ぎないケースの方が多い。
 
宗教が何千年もこういう悩むを処理し続けてきた。
環境が変わると微妙なバランスも変わる。
そして新しい世代が生まれ来ると、
まだ1つから学べなければ、伝えなければならない。
 
 
この”永遠の課題”は、人として生きる限り
いくらでもやり尽くせない。
 
良い作品を作る、良い仕事をするのも同じと思います。

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