2013/04/17

我慢って何だろう

我慢ではなく耐えるのだ、そんな事が言われた事がある。

自分の我慢の仕方は違うかな、時々そう思う。
って、我慢は何だろう。

今日は、もしかして我慢は”ゴミ溜まる”の事かなと思った。

おしっこの場合なら
動詞は絶対”耐える”ではなく、”我慢”であるべきだ。

トイレが無い時は見つけるまでおしっこを我慢する。
耐えると言っても、どうやって耐えるも分からないだろう。

耐えるの場合は乗り越えるとゴミは残らないが
我慢の場合は心のゴミは残るはず。

溜まり過ぎると爆発する。

確かにある読みきりはこのテーマ。
殺意は大きな恨みと限らない。
小さいな、しかし物凄く多い不満を我慢し続けると
殺意も生まれる事ができる。

つまり、我慢はゴミ箱の存在。
あくまでもゴミを一時に集めるだけ。

ゴミは上手くどこに捨てる技術が必要。
そうじゃないといずれどこかで溢れる訳だ。

この意味では、我慢は気持ち整理とセットするこそ使えるかも。


まあ、”耐えれば良い”と言っても
全部の問題は耐えれば乗り越えるタイプじゃないと思う。

条件は悪くほどそれが難しい。

我慢の必要がない、という文章はよく見てるけど
決して我慢が本当に要らないじゃなく
使い方が間違わないで、という意味だろう。

耐えると言ってもさ
元々苦しみを長時間で渡る事は場合によってある。

それでも”我慢しない”と言い張ってる人は
初めからそれほど難解の問題(大きなゴミ)を持っていないだけ。

アフリカの飢えてる子供に
”我慢しなくでもいい、耐えるのだ”と言っても完全に場間違いだし。

そんなの子供は結果パンを盗んで、
”お前は我慢だけだから判断が間違った
耐えて別の道が開けていくべきだ”と叱っても完璧に無意味。

最低限の条件が与えられない人は”耐える”事ができない。
我慢できるだけでもマシだったよ。

全く我慢の必要が無い、耐えるだけで問題を解決をできる人は
十分な資源が持っている人。

それほど幸せだから
”我慢はしません”と言い張るだろう。

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