2021/03/30

表面情報とサブテキスト

 今日の話題は長い

まずはこれ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81647?imp=0

そこには、映画を通常の速度では見られなくなったという男性(37歳)の、「倍速にして、会話がないシーンや風景描写は飛ばしています。自分にとって映画はその瞬間の娯楽にすぎないんです」という声が紹介されていた。

同記事中、別の女性(48歳)は、Netflixの韓国ドラマ『愛の不時着』を「主人公に関する展開以外は興味がないので、それ以外のシーンは早送りしながら」見たそうだ。


ああ、そういえば今の時代なら
みんなは情報に関しての扱い方はこういう感じですね
時間は情報より高価。情報は安くなりましたって。


 次はこの作品、
https://shonenjumpplus.com/episode/3269632237299785304

今風の、もう少し正確にいえば『ダンジョン飯』の系譜

『設定を厚みがあるファンタジー』を狙ってる。
物語の情報の質が高い。こういう作品も今なら人気出そう。

情報の扱い方は色々変わったなと。

そんなの時にあだち充の作品を思い出す。

この演出に注目してください。

踏み切りのカンカンの声は、試合終了のゴングの声になっていく。

...これだけで、これまで語れた『情報』と完全に異質。

この情報はセリフで語るのは完全に意味がない。
このシーン、多分早送りでも物語の理解に妨害しない。

でも、ここがあだち作品の真価。

これは情報価値じゃない。でも、大事なこと。
そこにあるのは芸術性とか文学性とか
もっと洗鍊されたものです。

あれを見つけることのが、作品を読むの幸せなんだよ。

魂に響く1つ良い作品との出会いは、100つ凡作を読むより大事。

魂に響く作品を読むときだけでも良いから、
ゆっくり味わうんだ。

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