2014/09/06

梳かすのように

http://www.nicovideo.jp/watch/sm15536918
アーデルハイド城下町

昔も一度上げてたが、この曲は良すぎて
俺にとって異常なレベル。

心は何度もこの曲に救われるくらい、ああいう話。

今夜はこの曲で色々心を整理してた。
不思議な感じ。

この曲の雰囲気は今の心境と全然違うけど
心の琴線は触れて、少しずつ落ち着く。

自分の本音を見つけるように。

俺が言いたい本音は
決して正しいと思わない、そして事実だと思わない。

だから”そんな風に考えない方がいい”
と自分にずっと言い続けてた。


でも、それはダメなんだ。
そうすると、自分が本当に悩む事すら分からなくなる。

意識の表に居ないけど
心の底にずっと悩み続けてた。

長引くと悩んだ状態が続くのに、悩むの正体を思い出せない。


確かに、今の自分は泣けないという事が書いてた。

強くなったから、じゃない。

それは泣いても聞いてくれる人が居ないだから。
泣くはSOSだから、聞いてくれる相手が居ないの大人になると
自然に泣く機会が少なくなる。

それはそれで構わない。

でも、せめて”自分が泣くときに、側に居てくれる人がほしい”
という願いを忘れないほうがいい。

叶え難い願いかもしれないが、それでも願いを持っていかないと。
そうじゃないと、最後の一人に聞いてくれる相手ですら居なくなる。

あの人は、自分自身なんだ。


自分の泣き声を、聞き取れないと。



.....ちょっと別の話だが
道理で宗教に頼る人がたくさん居るね。

苦しみはある程度大きくなると、人間は耐えない。

自分よりずっとスケールが大きいの何かがを依存して
相対的な価値観でに自分の苦しみを小さくなる。

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