2014/10/05

雑誌の全体像

今日は本屋に行って、たくさん漫画雑誌を探してみた。
流石に種類が多くて迂闊に手を出せない。

今の所はイメージをぼんやり感じ取れる階段。
うまく言えない所ですが、何となく台湾と完全に違う感じがする。

ジャンプ〜サンデークラスの雑誌はここまで10冊くらい
読んできたが、
 もう少しマイナーの雑誌は台湾では入手困難で読んでいないが、
ここで意外に多くて、でも割と見つけにくい。

大きな雑誌と小さい雑誌のビジョンが違う。
やり方と経営方法も違う。

でも同じくのは、川の流れを汲めて、自分の物にする所。
日本人の仕事は丁寧だからこれはできる。

雑誌と本が一番違うのは連続性。
本は一冊が売れなくでも諦めて別のシリーズを作れば良い
でも雑誌はこの月がうまく行くと来月に繋げる
逆に言えば、今月のミスが来月まで響く訳だ。

大雑把の方法では雑誌を作れない。

結論から言えば、日本の場合では
ケモノ漫画誌は難しいけど1万部の雑誌なら可能と思う。

日本の仕事方法だからこそ
たくさん作品も雑誌も作れると思う。

簡単で言えば
日本では水を汲めるために『バケツ』を使うが
台湾のやり方が『底抜けるバケツ』を使っている訳だ。

ようするに良いバケツが使えない
いくらい金を払っても、良い仕事できない。
だから積み上げないでしょう。

それでも、ネットで大きな流れが変わっているから
汲める水がどんどん減っている。
最悪では漫画という形の娯楽は無くなるかもしれない。

という訳で『大きな流れ』を合流する必要と思う。

昔の大きな流れといえば手塚先生と思う。
いくら流れを見えても、バケツだけじゃどうにもならない。

でも手塚先生のスケールはバケツじゃないよ。
彼自身が川になるくらい大きな存在。そして、源なんだ。

やっぱり時代の変わり目と繫ぎ目に
こういう大きな存在があれば、いくらでも新しい流れを作れると思う。

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