2014/03/07

リトル・トリー

読書1冊目。

チェロキーインディアンの血をひく少年の物語。

この本は当たった、と思った。
ある意味、俺が取材したいピンポイントがここにある感じ。

この作品では俺にとって一番重要のは
”インディアン”の価値観である。
そしてこの作品では難なく伝えてきた。

この世の全てが”生きている”。
全ての叙述は、あらゆるモノが命を持つという前提で書かれた。

鳥や草はもちろん、水や波、光と寒さは
全て”生きている”という視点で言っている。

そしてあらゆるモノを、対話できる。
木も花も石も山も。

昔に何となく感じているけどこの本を読むと確信した。
こういう大昔の文化は、基本的に子供の気持ちに似てる所がある。

人と自然はあんまり区別しない。
同じ系統のモノを考えている。高度も大体同じ。
人は動物や環境より偉いや高いなど価値観は無い。
だから”包まれる”感じがするんだ。

原始的だが光るものが結構ある。
言葉として精度は低いだが、現代の文明より長い時間に渡ったから
本質にあたる所がただ知識より上回る。


しかし別の所では、
現代の文明(もっと正しいに言えばキリスト教の価値観
本質的には”攻撃的”と思わせた。

自分は正しいと思うなら強くなれ、金持ちになれ、
そして弱い人に自分の価値観を強要する。

こういう価値観は広げ易いの性質が持つ。
比べて、インディアンの価値観はありのまま過ぎる。

例えば、ある学生はいつも満点を取れるようにやっている
ある学生は好きな科目しか勉強しない、点数にも興味ない
だったら勝負すると必ず満点狙う学生が勝つ。

もともと、ああいうスタイルなんだから。
インディアンの価値観では全然”人を勝ち超える”ような概念がない。
しかしキリスト教はそれが強い。

だったら結果的にインディアンの負けのは当たり前。


だからこの本を読む度にさ、不公平だなと思わせた。

でも同時に、この方向性は本当に
漫画に上手く扱えるかなと心配してきた。

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