2014/08/01

形を与えて

8/10
夜中に妙に胸騒ぎと頭がクラクラ、病院に行きました。
あの夜の事を考えて、どうやら体より寧ろ心の問題らしい。

まあその意味なら多分大丈夫。
焦りの原因は分かりすぎるくらいだし。

しかし父さん入院の数年でさえこの感じが無くて
問題の質が違うと、起こる症状も違うだろうな。

こんなの状態は文句を言うけど
別の状態で別の愚痴と悩むがある訳ぽい。

別に話だが、
人生は”意外”に脆い。

例えば1ヶ月の仕事で5万を手に入れると
普段の生活は安心できると言っても
意外1つでその10倍も20倍の損失が起こる。
トラブル1つで全て崩し可能がある。

失敗や意外は起こらないように工夫も難しいが、
起こっても大丈夫ように計画を組まれる人がすごい。


http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1111/11/news008.html
優れて抽象的な思考は優れて具体的な行動を生む

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1408/06/news005.html
スイーツには「4:2の法則」

これはいいな。
”形を与える”という概念は好き。
抽象的な思考は、こういう力がある。

味もバランスと形を与える事ができる。


先入観はあると別の物が入れない。

これが母さんと話すときが一番実感する。
世の中ではどんな普通の常識でも
頭の中に既にあった偏見が存在した以上、会話は難しい。

本当に苦労する。

まあ仕事の時も、常識が分からない人が会った事あるが
家族は別格に面倒のは、家族が逃げられない。
仕事一応”あの人と絡まないようにする/最低限対話”済むが
家族はできない。

別の切り口を探したいけど、今の所がなかなか見つけない。

それで病院に行く時に
ある意味がちょっと分かった。

ああ、こんなに悩んで倒れても、
母さんに”ほら、私言った通りにやらないとこうになったわね”
こういう話に言われる。

その時は自分にこう言った。
”落ち着け、ここで怒ると死ぬかもしれない”

母さんに”お願いから何も言わないで、俺が病院に行くんだ。”
と言った。

やれやれ。

病院に行くだから
”傍に居るから心配しないで”くらい言うべきじゃなかったっけ。


母さんは心配していない訳が無い、それくらい知っているけど
所々がこういう歪む所が現れる。

だからこういう所に悩んでも、何もならない
と思いました。

ある意味、悩んで母さんをカバーするより
思ったよりずっと自分のやり方で進の方が吉だろう。

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