2013/06/22

ネームの中身

最近ある連載第3話の話を読みました。

なんか....あの人のネームが上手いのに話がつまならい
という違和感がある。

強いて言えばそれはキャラの問題と思う
ネームはあくまでも形、かもしれない。

伝えたいモノと表現の仕方は合わせて考えるべき
そうじゃないと、あくまでも”綺麗な構成”だけ。

実際の作品はケースバイケース
教科書ような手本の基本構成は全ての作品に使える訳が無い。

129章今回のネームはストーリー回
構成はそれほど複雑じゃない、情報も特に多いじゃない
ネームの意味では形ではなく中身の方が難しい。

素材は揃って、構成も分かっている
だが処理の方法は難しい。

何回の”調理”が必要、どんなの演出がベストなのか、と。

料理人は凄い所がこれかな。
素材を揃うだけなら目利き、素材を捌くために技術があればいい
だがこの2つできるだけで良い料理になる訳が無い。

感覚のバランスが要る。
スパイス1つで料理全体の完成度を上げるように
そのバランスは立体的。

”レシピを創る”という創造性はそれをベースにして
その上に今まで無い味を立て上がる。


打ち合わせの事を考えると
良い漫画は一人で出来るのが無理がある。

ヒットになると作家の地位が偉すぎるとか
担当が変わるによる作品のバランスが変動する。

担当と打ち合わせこそ何かがなれる。
一人で良いモノを作れる作家は居ると思うが
本当に稀と思う。

できる人が二人、そして良いバランスでなければならない。

盤古はサポートがなければ成立できない回数は多すぎる。
特に後半バトル以外の話は俺一人では精度が足りなくて
毎回打ち合わせが命になっている。

どんなに勉強しても、一人がカバーできない所が必ず出る。
情報と情感の処理は話の膨大による
一人の脳は限界を超える。

結局、ネームはああいう仕事。
しかし一人の体験も中身も限度があるため、
出せない時は出せない。

そして手塚先生のエピソードを思い出せる。
あの驚異の記憶力、異常な知識量と引き出し
そして溢れる感情があるこそ
無限の”物語”を織り出せるだろう。

普通の人間は(いや”異常じゃない人間”と言うべきかな)、
100冊のコミックを出る前に必ず枯竭と出会える。
そして過剰の演出でカバーして引き伸ばしが始める。

引き出しがもっと少ない作家は20冊も届かない。
それそこ”中身”の課題でしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿