2015/10/30

緊張感

https://www.youtube.com/watch?v=jPc-o-4Nsbk&index=1&list=PLbrh1Wx3Vxz9rtPiK8mdv37yk94FQ3lNb

Nickelback - Savin Me

この曲を何百回も繰り返して聴いてます。
多分この曲も物語のキーソング、イメージソングになるので。

そしてこの曲を聴きながらシナリオの欠点を思考する。
トムのシナリオはなんかモヤモヤする部分がある
だから3巻以降の話が上手く進めない。

あれは多分連載始まるから考えるも間に合う
『今は見つけなくでも、答えがその範囲にある』タイプだから。

でも今がちょっとこの間に考えた
『思考のギアを変える』事を応用して、一歩下がって
まず周りを見て感じる、そしてわかりました。

この物語の問題は、『子供でゲームを遊ぶの間に
大人に関わるシリアス特有の緊張感が描けない事。』
少なくでも、今の概念練りの程度では耐えられない。

つまり、主人公が『遊びは楽しいだよ!目的なんていらないだよ!』
という事を主張するとシリアスモードの
『大人による命を賭けるゲーム』を上手く描けない。

テーマの軋轢が出る。
無理矢理に子供の遊び心を持ち上げると読者の反感を買う
かと言って、トムたちを現実のリアルさに飲まれると
主役として魅力が失う、盤古と同じようなパターンに陥ちる。

この辺り『テーマ概念の練り』が非常に工夫が必要。

簡単で言えば、もし物語の中盤になると
生命や魂、あるいは記憶という事で賭けを始まると
シリアスモードになる場合
トム達は『子供の立場』を見せつつ、『大人の力』になる
そして『無傷に守られる』立場ではなく、
子供なりに、彼達しかできない戦い方を見せないといけない。

この条件は非常に難しい。

遊戯王や色んなゲーム漫画は極力に大人の存在を排除する、
あるいはあらゆる頭脳ゲームに大人がメインになった場合
基本的に子供の存在を排除する。

子供と大人が同じ場所で、しかし違うスタンスで
互いに力になるけど、互いに相手の鑑になる
という概念は普通は無理です。

悪くはないけど、
『子供は頑張ったけど結局大人の守りの下に居た』という感覚は
そろそろもう一歩に前に進めないといけない、と思った。

現実はともかく、
『物語』にしてこれはあってもいいじゃないかなと思った。

うまく言えないけど
子供だけど大人扱い所もあれば、大人だけど子供扱い所もある
という感覚はずっとあった。

子供を見ると時々すごいと思わせた。マジで。
そんなの子供だから、不思議な形でもいいから
彼らを現実に参加させようもいいじゃないかな、と。

うそつきゴクオーくんような感じで。
子供も大人も互いに居るこその成長が描かれている。
それが好きだった。

http://matome.naver.jp/odai/2141780731877582501
大人だって諦めない。「夢」を持ち続ける方法


http://www.ashi-tano.jp/?p=7142
「悪魔の代弁人って?」議論を深めるために必要な視点とは

ついでに資料。

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