2020/10/28

1985年の1ページ

 小学生の頃に購読した子供新聞に
毎日1ページ漫画連載を載せていた。






こんな感じの話は、約180ページで1つ連載が終わる感じ。
描ける作家はずっと同じ人。

6〜8歳の頃にこの人の作品に夢中でした。
今で見れば1985年の作品にして質は上のほう、
背景や表現のバリエーションも多く
日本の連載とそれほど変わらない、いい作品だった。
作家さんの全盛期パワーを感じる。

でも日1ページだから、見開きもめぐりの技術も
テンポの緩急、大コマの演出もできないので全体的におとなしく
そーゆー所は揭載誌の制限を感じる。

昔になんとかコミックスを集めてよかった。
これ今もう絶対手に入れない。中古ですら見つからない。

まだ昭和の頃だから、台湾に漫画はほとんどなく
本屋で買えるのが(海賊版の)ドラえもんくらいしかなかった。

その頃にはね
毎日の1ページ漫画を大事に大事に繰り返す読んでいた。

ドラえもんもボロボロまで読んでいた
ドラゴンボールはあるが、海賊版なので
最序盤の話しかないので何千回も繰り返して読んだ。

天下一武闘家会アニメがビデオテープで観られるときに
感動すぎて跪いた記憶があった。

漫画の雑誌なんてない。
コミックスも指で数える程度。
子供向けの教育雑誌にたまに質が悪い数ページ漫画があった
でも漫画であればどんな出来が悪い作品でも貪慾に読んでいた。

心に焼き付けるように夢中に、必死に数少ない漫画を食べていた。

それくらい漫画を飢えていた。

好きなケモノキャラなんてほとんどなかった。
なので漫画のキャラは必殺技を放つときに背景にあった龍や虎まで
心の養分でした。

それくらい供給が少なかった。

それに今。


まるで毎月のようにケモノ漫画は出るようになった。
さらにあらゆるジャンル面白い漫画は溢れて
読んでも読んでも全然追いつけない。

対して1つ作品をしつこく繰り返して読んだことがなくなった。
子供の時期のような、「絶対的な沒入感」がなくなった。

それはいいかな、ふっと思いました。

そしてよく考えたらそれでいいんだと思う。

「漫画の楽しみ方、
それに人生の楽しみ方が変わった」
、と
考えればいいかもしれない。

昔は手持ちものが少ないから1つ1つ大事に使うしかない
今は豐かになったから、複数のものを楽しめたいなら
楽しめ方も違うと思う。

今の漫画の楽しめ方も楽しくで幸せと思います。

まあもしかして戦争になって手元の漫画が全部失って
ドラえもん1冊しか残ってないなら
そのときはそのときで、
その1冊のドラえもんを何千回繰り返して読みますから。

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