2011/11/18

キャラ立ちの”感触”

http://d.hatena.ne.jp/yamada10-07/20100207/1265560953

極論すれば、欲望は個性です。
キャラクターを描写してストーリーを進めるには、
こいつは何をしたいというものを強く表さねばなりません。


突然だがキャラの話が思い付けた。

自分一応、キャラ立ては得意の方と思う。
しかしそれは何故だろう、よく考えればあんまり考えていない。

ケモノキャラは上手く立てる傾向はある。
人間キャラならある程度に外れし易いけど、
良いキャラもそれなり多かった。

機甲盤古は特にやり易い理由、1つは
”このキャラを示す漢字を挙げれる”と思う。
でもそれは全てを説明できない。

例えば、羅剛は面白い例。
彼を示す漢字この時点まだいない。
羅剛は最初から”力持ちけどバカ”キャラような立ち位置だった。

ああいうごついキャラを表現する常套手段は
”九九すら出来ない”ほどバカな奴として描かれる。

しかし、設定階段ではそれが違和感があった。
俺は羅剛が頭が悪いと思うけど、バカではないと思いました。

頭が悪いけど、思考は出来る、ある程度正しいの判断もできる。
そんなイメージで描きたかった。

後の事だが編集長はその辺りが面白いと言いました。

馬賢は頭が良いけど、割と感情的
時々感情に流れて間違い判断を下す。

対比的に羅剛は頭が悪いが冷静に周りを観察できる。
だから馬賢をサポートする場面もありました。

普通はこんな組み合うの方が珍しい。
馬賢はもっと全面的賢い、羅剛はもっとバカなやつようで描く作品が多い。

こういう所は、俺なり”感触”が存在していると思う。

形に嵌り、既にパターン化したキャラクター類型をそのまま使わない。
ステレオタイプのキャラでも、
俺なりの”納得”を見つけるまで粘る。

もう少し曖昧なキャラで言えば、焦猛を挙げる。
最初はモブキャラだった彼はキャラ設定がかなり甘い。

編集長曰く、このキャラはまさに”きれいなジャイアンでしょう”。
乱暴だけど根が仲間想いで良い人。

確かにそれで説明すれば一番早いが
俺の感触にとって、何となく違う。

きれいなジャイアンに似てるけど、”そのつもり”で描くじゃない。
”結果は似てる”だけ。

陶隱も今までの描写はあんまりない
そして、それほど明確な形象で描いてきた訳でもない。

しかし、何となくの”感触”はある。
それさえあれば、分からないままでもキャラを描き出せる。

陶隱は一番重要なイメージがその”自然体”の雰囲気。

怒らない訳ではないが、それほど怒らない。
悩まない訳でもないが、それほど悩まない。
普通の人よりたいぶ落ち着くの程度。

このポイントさえ掴めれば俺は陶隱の話が上手く描けるつもり。


これはいわゆる直感かな.........

もちろん完璧に描ける訳がない。
しかし大体当たれれば、微調整くらい編集長の力では余裕できます。


正直、俺は人間の感情をそれほど観察した訳ではない。
人間関係でも、どちらで言えば苦手、友達は少ないの方だ。

人間の感情をそれほど正確に読み切れなく
空気読めない奴だって時々言われた。
非常に下手、ほどではないが平均以下と思う。

それでも、キャラを作る時は
”俺はどんなのキャラを作りたい”の事はしっかり掴める。

理由はよく分からない。何故だろう?

昔の作品を読み返したら
この感触は大学時期辺りは既に片鱗を見られる。

その頃まだ当たり外れが激しいが
当たるとレギュラー入り、外れるとゲストキャラに移動
回数を重ねるとたくさん良いキャラを貯まった作品があった。

理由はどうあれ、キャラ立ちは漫画にかなり重要な部分だから
これを得意なんて本当に有り難い。

そしてまだ1つ良い所は
霍安ような使い勝手が凄く良いキャラでも、一人勝ちな状態にならない。
全体の配置がバランスが良い。

陶隱のキャラは決してキャラとして霍安を超えないが
彼なりのエピソードはちゃんと成立できる。
この作品では今でもキャラ数の割りにこういう配置が良好。

この辺でも何かが力が働けているかな。

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