2020/07/19

幸せの選択

朝ごはん母と一緒に、近所の鶏肉ステーキを食べる。
これは本当においしくて最近はよく注文する。
幸せだな。

でもたまに思うけど
どんなの幸せでも、時間と似てる
貯金や保存は出来ない。
その時、その場に使わないと無くなる。

母と一緒に時間はどんなに大事しても
いずれ終わってしまう。

バスケはとても素敵、旅行も素敵 
勉強も素敵、自分で手料理を作るのも素敵
素敵なことは無限にある

でも、それをやるのにあんまり時間や資源がない
大抵の人は、毎日通勤と仕事で時間で消費しまう。

なんかね
『老後の大きな幸せのために、今の無数な小さい幸せを諦める』
ようなことをしっている気がする。

狼パパのシナリオを考えるとこの事を気になるようになった
たくさん小さい幸せは1つ本当に大きな幸せに劣るだろう?

数字で言えばちょっと残酷だけど
母と一緒に食事できる回数、千回残るかどうかわからない。
もし親と離れて暮らしている人にとって
親と一緒に食事できる回数なんて、
数十回しか残れないかもしれない。

でも、そう言われても
『毎日親と一緒に食事』を選べたら
他の幸せを手に入れないかもしれない
妻と親は喧嘩するかもしれない、
実家暮らしでは、いい仕事を選べないかもしれない。

素敵な幸せはたくさんある
でも人はそれを持っている量は限られてる。

この世にほとんど幸せは、決して手に入らない。
よく考えたら、そうになりますね。

金があれば何でも手に入れるように見えるだが
それは幸せの解釈が大雑把すぎるよね。

だから、ちゃんと選択しなければならない。
欲しい幸せを自分でしっかり考えて決まらなくちゃ。

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