2012/07/16

実はあんまり考えていないだろ

ちょっと昔にケモノ誌を作る時の事を思い出した。

ケモノ好きな人は何人も集めて
一緒に大好きなケモノ誌を作ろう、と打ち合わせ。

何の良いアイデアとやりたい事はあるかな?と聞いたら
”うーん、特に無いみたい”という返事を貰った。

.......みんなは特にイメージが浮かんでいない。

その場、一応編集者の経験があったのは俺だけ
何とかそれぞれ描きたい作品を作り上げて、
俺は編集として、締め切り、ページ数、揭載順、表紙作家指定など
色々考えて、俺のイメージで本を作りました。

そうか、なんか編集長の気持ちが分かったかも。

大体の人は、何がやりたいという事はそれほど考えていない。
”誰かが何かがをやってくれると良いな”、の程度だけ。

もちろん自分描きたい漫画はあるけど
雑誌や本自体のスケールになると、ぼんやりなイメージしかない。

しかもこれまだ良いの方。
もっと酷いのは、漫画を描きたいと言いながら
”何を描くのは分からない”。


ケモノ誌の時だって、作品のページ数は単?双?どっちがいい?
と聞くと”分からない、あなたで決めてくれ”ような返事もあった。

俺なら何とかしてくれると思えているかな。
結局、細かい所までイメージは俺しか持ってないから
バンバン俺の好みを入れました。

元々、みんなのイメージで一緒に作りたいのに。
しかしどうやら、作品を載せるの形式は誰も考えるものじゃなさそう。


他の友たちもケモノ誌を作った事があるけど
よく考えたら、その本のイメージもメチャクチャだった。

載せるイラストは鉛筆絵ばかり、内容の文章コーナーもデタラメ
限定版と言いながら、公開販售していない。

一言で言えば、あの本のイメージは
”ケモノはマイナー。社会が悪い、悪いのは俺達じゃない。
だから金を出して応援してくれ”。

やりたいイメージは全く無い、だから作品の形ですらなっていない。


時々は、結構な人は好きな事でも何となく気持ちだけ、
実際に何がやると、色んな常識に囚われて
具体的にあんまり考えていないだろ...と思わせた。

漫画を描くの作家より、本を作る編集が”先”と思いました。

しかし面白いね、編集を決めるのはあくまでも”枠”だけ
雑誌の内容は作家の漫画次第。つまり”やる”も重要だが、
方向性が正しいの指令で”やらせる”も肝なんだ。

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