2012/07/02

格上

"世界と関わりたくない奴は、世界を変わる力がない。"

倉頡と艾方のエピソードは、
基本的に艾方は完璧に押されて全否定ような展開がなっている。

そうになると難しいのは、艾方の論理は一応理になっているのに
そこで倉頡は完全に上に居る、
というシチュエーションを作らないといけない。

つまり、格上の”意味”を見せるべき。

簡単で言えば、九九は凄いなと思った子供が
初めてXを見ると怖くて震える。

九九は”間違い訳”が無い、しかし格が下。
そんなの感じで。

神は人間味が薄いになると人離れイメージが強く
格上で神々しいに感じるけど、
俺は特にそんなのイメージで神を描きたくない
だからあそこはバランスを考えたい。

そうなると、艾方のイメージは普段に周りに居る人
よく言ったセリフで膨らめるかも。

いくら理屈自体が正しいでも、
あくまでも自分の気持ちを合理化する感じで
自分に都合に良い理屈を選ぶだけ。

理屈は正しい、気持ちも真心、
でも実際にやると本当は現実と合っていないと痛感される。

倉頡も艾方も
それぞれの持論をハッキリ確立まで苦労すると思ったが
4回戦ではかなり異色の物語になる。

この作品では、本当の神になるのは、”意味”になる事。

神様はね、偉いとか強いとかだから神じゃない。
神の自体は”意味になる”だから、人々はその”意味”を信じる。

一番”神明の話”になるじゃないかな。
描くのは楽しみだ。

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